2017年2月7日火曜日

お前の限界はその程度なのか

 「もうみんな限界に来てるんだろうね、いろんなものが」
 それはどのくらいの「みんな」なのだろうか。小学生が言うところの、自分の知っている小さな範囲において、さらになお狭い範囲での事柄をものすごく大きく誇張して言うところの「みんな」というものではないのか。

 「限界」?、その程度はまだ限界に至る道半ばだ。
本当の限界はもっと先の方だ。そもそも限界だと声に出して言う程度ではまだまだ余力を残している状態で、実際には精神的な弱音でしかない。胃に穴があいて吐血するくらいが限界の手前。鬱を発症して「明日の朝からは、自分だけがいない世界が始まるのだ」という結論を自問自答の末に導き出し、積極的に自分を自分で殺害しようとする手前あたりが限界。精神的に追い詰められ自らも追い詰め、ぶっ倒れるあたりが限界。

 みんな、とか、だろうね、とか、いろんなもの、とか、 うまいこと逃げてるあたりが気に入らない。

 個人的な意見というより狷介(けんかい)ではないのか。それとも私の過去における「明日の朝からは、自分だけがいない世界が始まるのだ」という結論は大したことではないのか。

「もう限界」とか語れてしまうのはまだまだ限界に辿り着いていない。その状態から抜け出せない逃げられない、そういう隅角に追い込まれてから「限界」を語ればいい。限界には大きな個人差があるし、その限界は他人ではわからない。逃げ出せる余力があるうちは限界ではないし、目の前の困難は乗り越えられる案外低い壁かもしれない。その壁を乗り越えたくないのなら、余力を使ってその道から外れればいい。死ぬなとか無責任なことは言わない。その余力は生きるために残して欲しい。騒がしく叫んだり暴れたりするためにある余力ではないことを忘れないで欲しい。

 「明日の朝からは、自分だけがいない世界が始まるのだ」というこの言葉を記せるようになるまで十数年かかった。死ぬのも苦しいが、死に損なうのも苦しいのだ。

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