2015年9月20日日曜日

自分の意見をみんなの意見のように

主語のでかい人
国会前とかで屯ろしてるデモの人たちとか、そういう括りになるということがハッキリ判る。

もちろん、それらを擁護して騒いでいる人たちも同じだ。


他人を疑え、知人を疑え、友人を疑え、親を疑え、兄弟姉妹を疑え、夫を疑え、嫁を疑え、子供を疑え、イヌを疑え、ネコも疑え、そして自分も疑え。その上で結論を導き出してこそ「考える人」だと思う。信じていなくとも相手にそれを悟られないよう、全力で考え悟られるより早く結論を導き出すことが重要だ。
考えていない人は顔つきが緩い。あのデモを見ればわかる、目に輝きがない。

遥かな昔、学生運動が盛んだった当時の人から伺った話だが、
「学生のリーダーはなんだかキラキラと輝いて見えた。その姿や様子や言動に触れて、この人についていこうと皆がそう思った。」と。このキラキラしたものというのは、いわゆるカリスマ性というものだろう。その人が言うには、今回の国会前のデモで集まっている人たちにはそういう輝きを感じないということだった。「あの人たちや民主党の人たちは《足りない》人だ。」と感じるそうだ。

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